拝啓、シンガーソングライター殿。

間違っても、これは一般的な真理ではなく、あくまで私個人の妄想であり、願いであり、希望であることを先に記す。

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シンガーソングライターは、人を救う。

それが使命だ。

しかし、誰かを救おうとしてはならない。

救われるかどうかは、聴いた相手が決めるからだ。

聴いた相手が救われたいかどうかはわからないのに、救うという能動的行為は、できないのだ。

言葉をだれかに届けることはできなくとも、歌なら届けることができる。

原稿用紙に書くことはできなくとも、メロディに乗せることはできる。

それが、シンガーソングライターの素質だと思っている。

僕は、とにかく言葉が多い。

そういうタイプのコミュ障だと思う。

たくさん失敗したし、そのたびに申し訳なくなる。

でも、歌なら。

少なくとも、自分の場合は申し訳無さはあまりなかった。

だからといってシンガーソングライターの素質があるとは思わないが、話をするより楽でいい。その感覚を信じて、今も歌うことを続けている。幸か不幸か、今の所やめる気は起こっていない。



記憶する限り、4/25から緊急事態宣言が続いている。

正直、何が緊急事態なのかよくわからない。

そして、「緊急事態宣言」というアクション自体が、この国を緊急事態に追い込んでいる。

映画を始めとした娯楽は奪われ、自分たちミュージシャンも活動の危機に瀕している。

何しろ、表現する場所が制限されているのだ。

5/29、5/30は、自分が特別だと感じているアーティストのライブを見に行った。

時間は20時まで、人数は変わらず制限され、当然酒類の提供はない。

それでも、定員ギリギリまで、「生の音」を求めて人が集まっていた。

国が定めたルールを守って。思いやりを持って。

どのステージも、みんなが楽しみに来ていた。

目を輝かせていた。

ステージの終わりは、拍手が鳴り止まなかった。

僕は、緊急事態宣言下という状況を、少なくとも曲に浸っている間は忘れられた。

幸せだった。

フレットから弦が離れるときの、独特な振動感。

三角形の板を二本の指で包み、腕を思いのままに振り下ろし、戻す。

それが千分の一秒ごとに繰り返され、音楽は前へ進む。

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十分に間を感じ取った指が、鍵盤を下ろす。

響いた音は、次の感情を刺激する。

一音、そしてまた一音。

指は、言葉を語るように。まるで紳士が、淑女をエスコートするように。

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やわらかく響く金管は、ベルの穴だけでなく、他方位に振動を伝える。

鋭くも温かい音色に、旋律の主導権を譲る。

その先にある、言葉への道筋に思いを込めて。

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あなた自身によって書かれた詩は、こうして初めて「歌」として、世に生まれる。

一度きりの、儚い音。

その瞬間に生まれる、楽器や食器の「同級生」とともに。

そして、どの生き物よりも短い生涯を終える。

聴衆の耳に、温かい余韻としての感情を産み落として。

価値は、聴衆が決める。

意味は、シンガーソングライターが与える。

その説得力は、おそらく自分自身の言葉かどうか、その純度に比例する。

その純度は、少なくとも下記の要素が決める。

1.日々の暮らしの中で、感じたことを、いかに大切にするか

2.否定的なエネルギーを、いかに否定せずに「転換」するか

3.想いやりを込めて、世界へ放つ姿勢があるか

例えば、子は、親の言うようには育たない。

親が生きるように育つ。

それは、究極のコミュニケーションの形だ。

何が究極かというと、「一番伝わる形」という点だ。

親子関係だけではない。

生き様が、そのまま伝わる。

会話や歌だけじゃない。生きていることが、いわば究極のコミュニケーション。

ごまかせば、そのような人生になる。

誠実に生きれば、そのような人生になる。

ひがめば、それは印象として人に伝わる。

下心は、オブラートに包まれず人に伝わる。

シンガーソングライターは、音楽とともに、その詩を人に伝えられる。

なんて素敵なんだろう。

好きだ、とも伝えられるし、あの頃の曲は、今でもその頃の想いを届けてくれる。

そんなふうに幸せなことが、もし自分の曲が誰かの人生の中で、その曲自身の役目を果たすとしたら、こんなにうれしいことはない。

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今月聴いた三人のパフォーマンスは、少なくとも僕の中で役割を果たした。

こんなにも狂いそうな世の中で、温かい光を示してくれた。

佳納子さんは、目を背けたくなるリアルにも、生きられる希望があることを示してくれた。

堀江美帆は、あたたかい日常があったことを思い出させてくれた。

ナミヒラアユコは、すこし先の明るい未来を革新させてくれた。

また、明日から前に進もう。

執拗なまでに、何かを描写した。

僕はマイペースだ。すこし、のろまとも言える。

僕は、連続的な営みである音楽の、一瞬に垣間見える温かさに浸ることが好きなのだ。

そのnoteにたどり着くまでのフレーズ、一番光る音色、フレーズを歌い終わって、次に進む推進感。

曲を書いて歌うのは、一瞬でもその状況に自分の身を置きたいからなのかもしれない。

僕が救いたいのは、きっと僕自身なのだ。

2021.5 モリタクロウ

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