アウトプットのタイミング - 6月の振り返りをしそびれた話 -
一応、サイトの更新においては自分なりにペースを決めていて、月一回、その月の振り返りの文章を書こうというつもりで臨んでいた。
が、この度初めてそのペースを落としてしまい、大変落ち込んでいる僕だ。
具体的には、先週末くらいからタイピングを始め、予約投稿という形で月末を迎えるつもりだった。
…いや、あれやこれやと言い訳をするのは多分誰でも難しいことではないし、言いたいことはいろいろあるものの、結局はうまく仕組み化できていないなというのがそもそもの原因である。
書かないと、このサイトの存在意義が…とか考えてしまうのは、たぶん良くない性格だ。
書こうとしていたテーマはある。
確か、「アナログのインプットと、デジタルのインプット」というタイトルまで決めていた。
6月の前半、銀座にて増尾好秋さんと吉原寛治さんという、素晴らしいギタリストのお二人のライブへ、後半にはモノクロームという即興演奏系のバンドのライブへ拝聴しに伺った。
その素晴らしかった二つの体験を踏まえて、そのことと常々感じていることを交じらせてタイピングを行おうと思ったのだが、どうも興が冷めてしまった。
こう書くと、まるで気分屋のようでとても「嫌なやつ」に見えるのだが(実際そんなに気分のいいやつではない気がする)、この興が乗る乗らないというのも、ひとつの大事なタイミングだと思っている。
食べ物で言うと「旬」という言葉があったり、桜でいえば「見頃」という概念がある。
文章を書くことを依頼仕事として行っている方々は、きっとそのタイミングを自ら作っていくことをやっているのだと思う。本当に、頭が上がらない。
そんなわけで、「タイミング」である。
旬を逃した食材が旨味を逃すように、文章も流れ出るようなフローがピークにある瞬間を逃すと、まるで「消化試合」みたいなシラけたテンションで臨むこととなる。
少なくとも、増尾さん吉原さん、モノクロームのみなさまの、集中力の研ぎ澄まされた豊かな演奏を回想している瞬間はシラケる瞬間はない。
本当に最高だった。
たぶん書こうと思えば書ける。
でも、書きたいと思ったタイミングほど熱くは書けない。
そのくらい、何かを外に出すときのタイミングは大切なのだ。
書きたい歌を書くときも、その流れを止めてしまうと、続きを書くことの難易度が極端に上がってしまう。
あとで書こうとしても、決して思い出すことはできない。
なぜなら、もうそのまま流れきってしまっているから。
存在する選択肢は、ツギハギを丁寧に構築し、なんとかして自己満足へ向けることなのだ。
流れ出るものを書き留めるということは、実は考えながらできることではない。
ある種のパトスみたいなものに扇動される。
全くの個人的意見であるが、完全に出切ったあとに、それを「推敲する」というフェーズが生まれると思っている。
後で読んで、整える。
なんのため?人に読んでもらうため。
整えることと、元のエネルギーのバランスをとること。
これが一番難しい。
人間が長い歴史の中で築き上げてきた「伝達」という文化を継承することは、僕は実は一番難しいと思う。
赤ん坊が無邪気に出す言葉にならない声。
僕は、アレがこの世で最強のアウトプットだと思う。
言葉ではないので、理解はできない。
しかし、何かを伝えようとする強い意志を感じる。
その強い意志を人により伝わりやすくするために、人は言葉を学ぶのではないだろうか。
多くの場合「意志」ではなく、「意地」を伝えようとしていないだろうか。
意地でなんとかしようというのは、自分以外の何かを守る立場を、壊さないための強い意志が働くケースだけだと思う。
話がそれた。
アウトプットのタイミングは、最も意志が強い時なのは間違いない。
意志というのは、心の奥底からの、真摯なエネルギーだと思う。
その場しのぎの「表明」でないことは確かだ。
自分が今一番感じている素直な思いが何なのかは、絶えず確認していきたい。
2021.7.2 モリタクロウ
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