葉月 : 花鳥風月
なんと、今年に入って一度も更新しなかったこのブログである。
前回の更新から半年経った。あけましておめでとうレベルである。
ただでさえ月一でもやらないと存在意義が...とか宣っていたのに、今年に入ってこの体たらくである。
なんとも救い難い。
言い訳すると、この半年は「人生を頑張っていた」。
人それぞれ、踏ん張る時があると思う。
この半年は、それこそ踏ん張ることをやっていた。
踏ん張りきれなかった時もたくさんある。
しかし、それでも踏ん張ろうと思って踏ん張った。
自分の価値感覚を180度変えながら、ベストを尽くすことを実践しようとした。
結果は、50/50である。
それなりにたくさん負けた。己の弱さに、負けた。
生きていくこととはどういうことか。
なぜ僕はこんなに情けないのか。
30を過ぎても、16のころと悩み事は大きくは変わらない。
大人になることを、未だに定義できない。
[本能]→[観念]→[感情]
母型の祖父は、8年ほど前の秋に亡くなった。
僕は彼がとても好きだった。
前職は午後から夜にかけての仕事だったのだが、あまりに忙しくて金曜の通夜に行けず、翌朝9時から手配してくれた葬式に行ってお別れすることができた。
比較的ふっくらした体つきだった祖父が、病気の関係で結構痩せてしまったことが悲しかった。
彼から、
「たく、流されるなよ」
と言われたことがあった。
16の時だった。
僕はてっきり、目の前の誘惑に流されないことだと思って聞いていた。
集中力がない高校生だった。今思うと、たぶん多動性かなんかだったと思う。
一人で勝手に空想に耽りがちだった。
この6ヶ月、なぜか幾度となく祖父の言葉を思い出していた。
そして、ひっそりと確信を持ったことがある。
あの時祖父が伝えたかったのは「目先の誘惑に流されるな」ということではなかったのではないか。
目先の誘惑ではない。
私の「感情」である。
本当のところがどうかは、一度死んで祖父のいるところへ行ってきかないとわからないが、多分そうだと思う。
いっ時の感情に流されることがどれだけ愚かか。
それをあの時代、多分親戚中が感じていたように思う。
それを噛み砕いて、祖父は教えてくれていた。
本当のところがどうかなど、分かりようがないのだけれど。
己の感情を押し殺したり、正当化したり。
それを僕らは、日常で極々自然に行なっている。
「もう少し大人に」といいながら、その場その場の都合をつないでいく。
そうやって、世を渡っていく。
感情を押し殺すな、と言われる。
正当化はやめろ、と言われる。
それでも、やっている。
なぜなら、人の都合で生きていないからだ。
自分だって人に言う。
なのになぜ、人にはやめろといいながら自分のことは棚に上げるのか。
根底にあるのは、勝ち負けの感覚だと思う。
誰だって、負け組になりたくない。
誰だって、蔑まされたくない。
誰だって、いじめられたくない。
誰だって、誰かより秀でたものを持ちたい。
でも、誰もそれらを定義できない。
「負け」の基準を作っているのはそれぞれだし、
蔑まされている気になっているのはそれぞれだし、
いじめられたと思うのは主観客観それぞれだし、
誰かより秀でていると思うのも、それぞれである。
いじめがケースバイケースなのはそのせいだと思う。
いじめられている、からどうしたいのか。
いじめられたくないなら、どうしたいのか。
「そんなこと、いじめられている当人に考える余地などない」というのが弱者視点である。
しかし、たとえ客観的にいじめられていたとしても、心の拠り所を別に持っていて案外気にしていない人もいるかもしれない。
本当のところがどうかは、本人でもわからない場合もあるとは思う。
なめられるよ!言いたいことは言いなよ!と姉貴分に言われたとしても、やはり本人がどうしたいのか。
感情を作り出す観念が、それを決める。
前職の社長が言っていた。「修羅場が人を成長させる」と。(いや、たまったもんじゃないぞ)
僕らは、「もうこの観念を持たなくていい」と思うことができて、初めて解き放たれることができる。できなかったことができるようになったりもする。
「こんな今を乗り越えるのにこんな観念必要ない」と腹を括った時に、大きなパラダイムシフトが起こる。
幼い子がお気に入りの毛布を手放せないように、僕らはなかなか観念を手放せない。
不安が強ければ強いほどそうだ。
ぎゅっと握った観念は、強い感情を産む。
そうやって生まれた感情ほど、人を流そうとするものはない。
プライド、虚栄心、依存心、優越感。
なんとなく「安心」を錯覚させる悪魔たち。
それに流されてはいけない、と、祖父は言っていたのではないか。
3/27、僕は人生で二度目のワンマンライブを敢行した。
何となく、4月が来るまでにやりたかった。
春という存在に対して向き合う準備が、ワンマンライブを行うことでできる気がした。
10分ほど推してステージに出ていった時、僕は途轍もない大自然に向かい合っているような感覚に襲われた。
柔らかくて温かい、しかし緊張感があり、この場にただずむことに強い意志と期待を希望を感じてもらえていたような。
大袈裟かもしれないし言い過ぎかもしれないが、僕はその真ん中でマスクを外すことも忘れて、ただただ感謝を伝える言葉を探していた。
学んだことといえば、やっぱりあまり喋り過ぎないほうがいい、ということだ。
マスクを外して、僕はE弦を鳴らし始めた。
ワンマンの開催までは、一筋縄ではいかない道のりだった。
感情がジェットコースターのように暴れて、何度も振り落とされそうになった。
そんな時、プライドや虚栄心などを掴んでいるどころじゃなくなる。
ジェットコースターに乗っている時に握るのは、プライドではなくて目の前の安全バーだ。
一つ一つのmilestoneが、必死にならなければ乗り越えられないものだった。
それを支えてくれたメンバーに、心の底から感謝をしたい。
栗田妙子さん
数年前からYouTubeで拝見しており、一方的なファンだった。
そんな彼女と後述の甲斐さんが縁を作ってくださり、今回のステージが実現した。
例えるなら山を登る時、すっと寄り添って見守ってくださるような、そんなピアノを出してくださった。
慈悲深い、何にも変え難い一音が紡がれていた。
叶うなら、これからもぜひご一緒したい。
甲斐正樹さん
大学の大先輩である。
最初の出会いをうまく思い出せないが、当時はバークリーのセメスターの合間に日本に帰ってきて、よく大学の練習室を訪ねていらした。
その頃にお会いしているはずなのだが、特別濃い時間を共有していたわけではなかったものの、数年あいてお会いした時も、まるで数日前にあったかのように「モリタク」と声をかけてくださっていた。
上京の際、甲斐さんにアルケミストという本を紹介してもらって、そこで書かれていたことを大事に生きてきたつもりだったが、今回あらためて未熟さを思い知ることとなった。
多分、甲斐さんは全てお見通しなのだと思う。人をみて、必要な時はまるで木のように寄り添ってくださる。
「よかったらレコーディングさせて」と夏に声をかけてくださらなかったら、僕は今どうなっていたかわからない。
矢崎良子さん
死ぬほどお世話になっている。
レコーディングではパーカッションとジャケット撮影、ジャケットデザインまで手がけてくれた。
いつだって彼女は僕の状況を理解しようと努めてくれたし、一番いい最適解を探すことを手伝ってくれた。
彼女には共感覚があり、音が色で見える。
パーカッションのアイディアが多彩なのも、大きなパレットを心に抱いているからだろうか。
ワンマンで使用したウォータードラムは、お客さんから高評価をいただいていた。
出会ってまだ3年と半年だが、彼女なしに僕の音楽の変遷はなかった。きっと、これからもそうなのだっと思う。
最後の曲のE弦の4フレットを鳴らし終わった時、僕はステージの前の空気を思い出していた。
温かいエネルギーに包まれていたことを実感すると、途端に強い寂しさを覚えた。
いい死に方をする時、こんな感覚なんじゃないかと思った。
そこには、
プライド、虚栄心、依存心、優越感
は、何一つ存在しなかった。
ありのままの僕らがいて、そこに喜びがあった。
僕は初めて、祖父の教えを守ることができたような気がした。
一度うまくいったからといって過信に陥るケースは少なくない。
気を抜くとすぐそこにある。
困ったことに、目に映るすべてのものに己の観念は潜んでいる。
プライド、虚栄心、依存心、優越感。
半ば自動的に、目の前のものを値踏みする。
そうなる前に、観念を見つめ直さないといけない。
目の前のものと、腹を割って話さないといけない。
私の6ヶ月は、その繰り返しだった。
希望を持ちましょう、というような心構えの話ではない。
私が私であるために、ただ向き合い続けるというだけの話なのだ。
2022.7.3 モリタクロウ
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